ロミオ先生が混沌とした日本の教育に明快な解答を出す!

この世の中は残念ながら良いものばかりではない。
「ま、それが世の中だから」と神や仏のような境地で達観しててもよいのだが、中には悪のくせに善を装い、人々を欺く許しがたい悪もある。
そこで私ワイズ代表のロミオ先生がそんな世の中に蔓延る悪を見破り、言論という正義の剣でたたっ斬るという、現代に蘇った水戸黄門のような勧善懲悪、拍手喝采の痛快文を書いていきます。
「正義は必ず勝つ!」を信念に、みんなで力を合わせて、悪を懲らしめ、素敵な世界にしていきましょう。

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ロミオ先生の写真
千年後に「すごい!」と言われる教育を目指して
私は遺跡が好きだ。これまで国内外を問わず、多くの歴史的建造物を見てきた。現在、1部の遺産では大がかりな改修工事が行われているが、中には復元できない部分もあるという。例えば、出雲大社では60年に1度、改築をするが、その間に宮大工の技術が受け継がれずに途絶えてしまったのだ。現在、姫路城では改築のため、一流の職人たちが全国から集結しているが、古代の匠の技に驚愕しているという。釘1つ見ても奥が深く、現在の釘は50年で錆びて使えなくなるが、古代の釘は千年たってもしっかりしているのだ。そんなすばらしい技を持っていた昔の職人たちは、歴史に名を残すことなく去っていったのだろう。しかし、彼らはその釘に自らの技を残したのである。話が長くなったが、私もこんな先人たちのように、千年後の人々に「昔、こんなすごい教育者がいたのか」と思われるよう、日々真剣に生徒たちに向き合い、一生懸命教えている。

浅ましき人の心

いったいどういう思考なのか私には理解できないが、先日も非常に悲しく腹立たしいできごとがあった。

これは生徒の一人から聞いた話だ。
その子の家の近くで火事が発生、友達のケータイから連絡があり、その子も見に行こうとしたが、母親に制せられた、ということだった。

また、先日、私が自転車で複数車線ある広い道路を走っていると車が渋滞しており、しばらく進んでいくとその渋滞の先頭辺りで事故現場があった。
私は救急車の隊員がかけつけているのが遠目に見えたので、そのまま作業の邪魔にならぬよう通り過ぎたが、車がそのあと全然来ない。
逆に反対車線はこれまた大渋滞の列である。
事故現場は道路脇であり、交通の妨げにはなっていないし、信号がある交差点でもないのにだ。
つまり、これを総合的に考えると「車に乗っている多くの人が事故現場を見ている」ということになる。
以前、ブログの方で書いたが、私は事故の第一発見者になった場合にはすみやかにできる限りの手を尽くすが、すでに事故がおき、自分の出る幕でない段階ならあとは邪魔にならないことを念頭に行動するのみだと思っている。

6年前、東京で無差別通り魔事件が発生。
一人の男が大勢の歩行者の中にトラックで突っ込み、刃物で次々に人を刺すという大惨事が起きた。
その時の被害者の友人がのちに語っていた言葉を思い出す。
「私は血まみれになっている友人を抱え、救急車が来るのを祈る思いで待っていました。
それを多くの人がケータイやカメラをこちらに向けてシャッターを押しているのです。
私はやめて下さい!撮らないで下さい!と何度も叫びました。」

いったいこの無神経で不謹慎で、人の気持ちのわからなさはどこから来るのだろうか?
自分が当事者の立場ならどんな気分になるのか理解できないのだろうか?
自分の思い出の詰まった家がなくなり、明日から文字通り住む場所も着るものも食べるものにも困る人、自分の愛する人を目の前で失った人を興味本位でカメラで撮って人に送る心境。

ただ、残念な研究結果もある。
人は人の不幸を見ると快楽の脳波が出るという。
また、別の角度から見れば、戦場カメラマンのように報道という立場で人の不幸を現状としてとらえ、こうならないようにと世間に問いかける職業も最小限必要だと思うが、あくまでそれは報道であり、決して人の不幸を喜ぶという心があってはならない。
ましてや、一般の人が、興味本位で写真やメールを送ったり、見たりするのは、相手の気持ちが理解できないことにつながり、ひいてはそれが戦争や紛争につながっていくということに気づくべきだ。
そういう意味で、私は興味本位だけで人の不幸を根掘り葉掘り取り上げる「ワイドショー」や「週刊誌」、そしてそれを見ている「野次馬」が嫌いだ。

一人一人が相手の立場に立って考えられる、思いやりと礼儀と節度のある人間になって、世界が安らかになることを願う。


教育より営利優先の大手塾!

これも以前からあった話ですが、最近、私のごく身近なところで同じような被害にあった方がおられたので、同じ悲劇を繰り返さないためにもここに真実を書きたいと思います。

その子は誰もが知っている大手塾S鳴に通っていました。
3年生になり、進路希望調査でその子は自らの意志で「一宮高校被服科」を希望しました。
はじめは母親も驚きましたが、よくよく話をして最後は家族一致の意見となりました。
ところがその意向を伝えても、塾側は「一宮西高校」を強く勧めてきたのです。
もちろん、その子は成績優秀なので、一西でも合格できるでしょう。
しかし、どんなに話をしても聞き入れられず、結局、不本意な形で塾を辞めることになったのです。

塾側がレベルの高い高校を強く勧める理由は明白です。
それが自社にとってのよい宣伝材料になるからです。
もちろん、生徒側と塾側で志望校が一致していれば問題はありません。
しかし今回のケースのように、本人の意志を切り捨てるところに、はっきりと塾の利己主義が見て取れます。

余談ですが、その後、その子は一宮高校被服科の推薦入試を受けたのですが落ちてしまいました。
親子ともども非常に落胆し、胃が痛くなる苦しい日々を送っている、というところで私の耳にこの情報が入ってきたので、私はすぐに次のことを伝えました。

「公立高校推薦入試は一般入試とは少し異なる選考方法があって・・・・(この内容は生徒の教育より自社の営利を優先する大手塾には知られたくないのでワイズの子にしか教えません。以前にも書きましたが私は多くの教育関係者の中で育てられました)・・・なので安心して一般入試の日までお過ごし下さい。」と。

いえ、恐らくこれくらいのことは最大手S塾のことですから知っていると思います。
しかし、退塾する生徒はもう無関係とばかりに「この子なら受かりますよ」とだけ伝えたのでしょう。

この春にもまた大手塾の窓には「○○高校○○人合格!」という張り紙が大きく掲げられるでしょう。
それが「うちの塾に入れば、君もこんな難関高校に合格できるよ!」と訴えることができる最高の宣伝だと勘違いしているからでしょう。
「どこでもいいからレベルの高い高校に入れ。」
これは「教育の放棄」であり「教育の敗北」を意味します。
真の教育とは「大人が普段から子どもに生き様を見せ、折に触れ人生を説き、学ぶことの楽しさを伝え、子どもが目標を見つけてそこへ自らの力で向かっていく時に必要な自学の力を身につけさせること」です。

仮に、何の目標も持たないまま、親に言われるまま大手塾に入って、難関高校に入ったとしましょう。
時の流れるまま大学を出たその子はどうなるでしょう。
20歳になって親が「もういい歳だから自分で将来を決めなさい」と言っても、定職にも就かず、結婚もせず、自立もせず、ずっと家に居ることになりますよ!
ワイズでは入会する時に必ず「君はなぜ塾に入りたいの?」と聞いて、将来のビジョンを見据えた上で受け入れています。
だからワイズの卒業生たちはみんな地に足をつけて、自分の目標に向かって生き生きと生きているのです。

話が逸れてきましたが、塾を選ぶ時、みなさんには名前だけでなく確かな目で選んでいただきたいと切に願っています。


合格者数に惑わされるな!

先日、公立高校入試の合格発表が行われました。
ワイズではブログで一足先にお伝えしましたように、今年も第一志望校に全員合格しました。
他の塾でも「多くの子を第一志望校に合格させました」とか「○○高校○○名合格!」とか大々的にアピールすることでしょう。
しかし!ここで見落としてはいけないことがあります。
それは不合格になった子たちのことです。
あるワイズ生の母親がこんなことを仰ってました。
「うちの子には難しいと思っていた高校に入れたのもワイズのおかげです!本当にありがとうございました。
ところで先生、うちの子と同じ高校を受験した、N田塾やS鳴塾の生徒が何人も落ちたと聞きましたよ。
うちの子よりも賢いはずなのに。」
そうなんです。
落ちるんです。
なのになぜ、人は落ちる塾へ入りたがるのか?
それは、たくさんの合格者アピールで、「ここの塾なら合格できる」とか「ここの塾にいれば安心」というイメージを巧みに作り出しているからです。
そのイメージが強力だから、少々の不合格者の事実はかき消されてしまうのです。
でもよく考えてください。
落ちた子のことを。
とても悔しいでしょう。
その落とした塾からすればわずかな人数かもしれませんが、本人からすれば100%落ちたことになるのです。
しかも、悲しいことに、その塾のよいイメージが強いほど、落ちた本人はその塾のせいではなく、自分のせいにしてしまうのです。
はっきり言いましょう。
落ちたのはその塾のせいだと。
その子を合格させてあげられなかったのは、その子の能力を見極められなかったその大手塾のせいなんだと。
少なくとも、ワイズはそう考えます。
決して安くはない月謝を頂いているのです。
第一志望校合格は学習塾の最低限の責務です。
ワイズでは万一、志望校に合格させられなかったら、恥ずかしくて、頂いた月謝は全てお返ししたくなります。
また、それくらいの覚悟で日々生徒たちと向き合い、1回1回の授業を大切にしているのです。
だからワイズは「第一志望100%合格」が実現するのです。
今年もまた様々な塾が大きな窓ガラスに「○○高校○○名合格!」と張り出すでしょう。
たくさんの広告やテレビCMやホームページなどを使って自分たちの塾はすばらしいと宣伝するでしょう。
しかし、気づいて下さい。
その裏で何人の子が泣き寝入りさせられたのかを。
試しに電話で問い合せてみて下さい。
「第一志望校を合格できなかった子はいますか?」と。
「いません」とはっきり答えられる塾はないでしょう。
「ほぼ全員の方がそれぞれ希望される高校へ進学しました。」などと上手に表現するでしょう。
最後にもう一度言います。
「ワイズは今年も全員第一志望校に合格しました。」



体罰と自殺問題を斬る!

ご存知の通り、桜宮高校の事態が発端となって、昨今、体罰がクローズアップされている。
まず言いたいのは「マスコミの態度」である。
例えば、学校教育でいじめ問題があったとしよう。
マスコミの態度はまず、何が正しいのかではなく、国民感情の動向を見る。
そして、国民の味方する側がはっきりしたところでそちら側に傾倒した論を展開する。
さらに、反対側の中で反撃したり反論しなさそうな弱い相手(大抵学校側)を見つけてそれをさんざんに叩く。
何が正しくて何が間違っているのか自ら考えることなく、国民感情だけを日和見し持論を左右させる節操のなさと,弱いものを平気で叩く腐った根性。
これこそまさにいじめである。

そしてそれは学習塾や教育関係組織も同じである。
本来ならば、教育に関係する重大な問題が起こったのだから、議論をし、自分の意見を公表し、以後こういった不幸を重ねないための対策を打たねばならないはずなのに、 学習塾や私学は全くいじめ問題や体罰問題について語ろうとしないし、触れようともしない。
それは語るだけの能力がないか、あるいはその議論をしても損するだけで得はないと思っているか、だ。
もし「学習塾は勉強を教えるだけでよい」と考えているなら、教育者を名乗る資格はない。

さて、前置きが長くなりましたが、私の意見を述べます。
誤解も覚悟ではっきり言います。
私は体罰賛成です。

乱暴な言い方ですが私は子供は動物だと思っています。
子供がいけないことをした時は諭します。
それでもやめない時は語気を強めて叱ります。
それでも治りそうにない時はその子の将来と社会のために殴ります。
このようにして子供は社会性を身につけて一人前の人間へと成長していくのです。

私自身、幼少の頃はとんでもない悪ガキで、へびを捕まえて振り回したり、お墓におしっこかけたり、神社の常夜燈や境内によじ登ったりして、それはもう毎日のように大人にどつかれてました。
それで社会のルールを文字通り叩き込まれ、何がよくて何がいけないことなのかを覚えたのです。

ただ、ここで気をつけたいのは、子供の能力や人格に対して怒ってはいけないということです。
私は嘘をついたり、人を傷つけたり、物を盗んだりすれば怒りますが、いくら勉強ができなくても、ちょっと変わった性格でも絶対怒りません。
そういう意味では今回の桜宮高校の先生は、よかれと思っての指導だと思いますが、叩くのはよくなかったと思います。
これが私の体罰に対する意見です。

ただ「体罰」という言葉のイメージが非常に悪くなってしまってるので、私のしていることを何と表現したらよいかわかりませんが。

しかし、他の学習塾では何度教えてもできない生徒に「何回言ったらわかるんだ!」とか「さっき教えたでしょ!」という先生がたくさんいます。
こっちの方が私の体罰よりよっぽどひどいことです。
あるいは、勉強ができる生徒が友達をいじめたり明らかに悪いことをしても、見て見ぬふりをする塾や親や教師もいます。
そっちのほうがよっぽど許しがたいことです。
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